青春ド真中!
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■1話

01.優しさ
02.青春ドラマを否定した
03.踊る大捜査線
04.オープニング
05.3人の先生と下宿
06.修学院高校
07.校長と教頭
08.バクダンの過去
09.精密に設計されたシナリオ
10.これぞ学園ドラマの傑作

7.校長と教頭

 青春学園ドラマのパターンは、

 理想に燃える校長 VS 現実的で打算的な教頭一派

というパターンがほとんどです(おれは男だは例外ですが)。そして、理想に燃える校長と、主人公の先生が最終回で勝利するのが、お約束だったはずです。
 しかし、この『青春ド真中』では、校長に理想はなかった。校長は、単なる管理職であり、ただの官僚にすぎなかった。そのうえ校長は負け組だった。そして、教頭は勝ち組だった。

 つまり、この『青春ド真中』では、最初から勝敗は、ついていたのですね。そのうえ生徒まで、そういう状態を認めている。落ちこぼれも、進学組も、そういう現状に何の疑問ももってないわけです。むしろ大人しく現状を肯定している。勝敗はついていたわけです。

(こういう設定は、『青春ド真中』の特色であり、この後番組の『ゆうひが丘の総理大臣』でさえも、理想に燃える校長 VS 現実的で打算的な教頭一派という伝統的設定には忠実でした)

 そして、もう決着がついているところに、バクダン(中村雅俊)が、産休補助としてやってきたわけです。もちろん産休補助だから正規の教師ではありません。臨時雇用であり、アルバイトであり、たいした権限ももたされてない。最初から『こしかけ』だったわけです。それに熱い教育論をもっているわけでもない、単に『学校は面白いところ』という信念だけで教職に就いた単純でシンプルな人間が、もう決着のついていたはずの、修学院高校にバクダンをしかけるわけです。

 そして、そのバクダンは、金八先生の得意技である『説教』でもなければ、総理の得意技だった『生徒に目線を下げた行動』でも『おらっかいなくらいの接触』でもありません。バクダン(中村雅俊)は、それほど生徒に対して、おせっかいな人間でもなければ、総理のようにアンチ受験勉強的な発言もしません。バクダン(中村雅俊)の思想は、いたってシンプルです。

「学校は楽しいところではないのか?」
「楽しいから学校に来るのではないのか?」
「学校は来たいからくるところではないのか?」
「なんかのためにくるんじゃない、誰かのために来るんじゃない、自分自身が楽しいと思うから来るんだよ、そうじゃないか」
「自分が来たいと思うから来るんだよ、そうだろう」
「学校は、もっと楽しいところではなかったのか?」
「楽しいところじゃなかったら、もっと楽しいところにしようとは思わないのか?」
「そう思わないか?」

 前代未聞のセリフです。
 どんな青春学園ドラマでもいい。
 かって、このようなセリフをはいた教師がいたでしょうか?

 前にも言いましたが、『青春ド真中』に出てくる生徒たちは、どんな青春学園ドラマにでてくる生徒たちより、大人しく、常識的で大人です。変につっぱることもなく、さめていて、自分の立場をわきまえています。そのうえ、手がかからない。教師をやるには、まことに都合の良い存在(生徒)なわけです。そして、こういう生徒たちは、有名私立にいけば、いくらでもいることは、関係者なら皆さん御存知のことと思います。私も、そういう学校の生徒さんたちをアウトドア教室で指導することがよくあるのですが、本当に手がかからない。扱いやすいんですよね。しかし、そういう大人びた生徒たちにバクダン(中村雅俊)は不満だったわけで、

「学校が、こんなに面白くないところなら何時でもやめてやるよ!」

と啖呵ををきるのです。あとは、ドラマをみてのとおりです。

 教師でありながら生徒に悪戯をする。
 そういう事は、『ゆうひが丘の総理大臣』の総理もやっていました。

 しかし、総理とバクダンでは、行動が同じであっても、その行動における背景はまるで違っています。学校を面白くする。ただそれだけの情熱だけで、多くの人に化学変化を生じさせ、多くの生徒たちを覚醒させたのが『青春ド真中』というドラマです。

 そして、このバクダンの魅力は生徒だけではなく、同僚の先生まで伝染し、感動的な最終回に向かいます。1話では、萌子先生(あべ静江)と生徒たちを覚醒させたし、2話では一番のワルに化学変化をおこし、3話と4話では、小森先生(神田正輝)を別人に変えてしまった。そして、すでに決着がついてた勝敗を、ひっくり返し、そして最終回には、あの教頭先生さえも・・・・。