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7.家庭環境をみせないつくり(ちょっと休憩)ここで、ちょっと一息です。シナリオを書く基本として、なるべく回想シーンを入れないという法則があります。回想シーン無くして、回想をイメージできるシナリオこそが名作であると一般的に言われています。この『青春ド真中』では、ほとんど回想シーンや過去が画面で、でてきませんが、それだけでなく、家庭環境も、あまり見せてないんですね。たとえ見せたとしても、必要最小限にとどめてあります。 たとえば、有沢健太(井上純一)の家庭環境の悪さなどは、もう少し画面で見せてもよさそうなものですが、そういう部分は、ほとんどでてきてなくて、むしろ馬鹿ばっかりやってるシーンが目立ちますね。こういう作りは、個人的には好きですね。なんだか本当にホッとするからです。バクダン(中村雅俊)の東南アジアでの苦労や、各人のトラウマなんかも、会話にはでてきても、あまり画面にでてきません。『俺たちの祭』とは正反対ですが、そこがドラマ全体を明るく、陽気にしているような気がします。 しかし、作品全体を陽気にするために、重みを失ってしまったことも確かです。『俺たちの旅』や『ゆうひが丘の総理大臣』や『俺たちの朝』などでは、エンディングに歌をもってきて、爽やかに感動的に終わらせていますが、『青春ド真中』では、とても感動的に作られているにもかかわらず、ラストにお笑いをもってきていて、余韻を打ち消してしまっているんです。まるで『太陽にほえろ』のように・・・・。逆に『俺たちの旅』や『ゆうひが丘の総理大臣』は、『特捜最前線』のようなラストでしたから、余韻を楽しめました。 まあ、これは個人的な趣味もあるでしょうが、私は、『青春ド真中』方式ラストより、『ゆうひが丘の総理大臣』方式のラストの方が好きです。ただ、『青春ド真中』最終回のラストは、本当によかった。あのラストは、ああでなくっちゃいけないと思っています。趣味的な発言ですみません。 |
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